映画

2012年4月12日 (木)

映画『アーチスト』

映画『アーチスト』

1月にイギリスへ行ったとき
どのチューブ・ステーションにも大きなポスターが貼られてて
大評判だった映画『アーチスト』。
今日、遂に京都の映画館で鑑賞しました。

新作なのに、白黒のサイレント映画!

チャップリン、フレッド・アステア、そして
古き良き時代の映画をこよなく愛する私には
たまらない(涙なしでは観られない)作品です♡

また、情報やツールが氾濫する今の時代に
あえて白黒サイレント映画を作るというのは
単なるノスタルジーではなく
新しいもの、人と同じものばかり追いかけて(作って)も
あまり意味がないという、強烈なメッセージのようにも感じました。

やぁ〜良いもの観た♪

映画と写真講座の合間に食べた抹茶あんみつも美味でした(^-^)

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♪Michi Watanabe as Michi Photography

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2009年11月18日 (水)

THIS IS IT

マイケル・ジャクソンの『THSI IS IT』を観て、私は思った。

「天才」とか「カリスマ」って言葉を、やすやすと使うものではないと。

「本物」を言葉で説明したり、数字で証明したり、

「本物」と「まがいもの」を区別するのは難しい。

けれど、一切の先入観を捨てて実際に目の当たりにしたら、「それ」が「本物」かどうかは、すぐ分かる。

“THIS IS IT!”は「さぁ、いよいよだ!」という意味の慣用句らしいけど、この映画のITは「本物」を意味しているようにも思う。

「さぁ、これが「本物」だ!」と。

この映画(ロンドン公演に向けてのリハーサル風景)を観ている間、「もし本公演が実現していたら、どんなに素晴らしかっただろう」と、何度も思った。

その一方で、本公演なんて最初から存在しなかった。。最初から、このリハーサル風景こそが本公演だったのではないかという気もしてくる。それほど『THIS IS IT』はパフォーマンス、演出、編集の全てにおいて完成度の高い作品に仕上がっている。噂には聞いていたものの、本当に凄かった。

それは、「もはやマイケル・ジャクソンには本公演を乗り切る力が残っておらず、最初から本公演が無くなることを見越してリハーサル風景を収録していた」という意味では、必ずしも無い。

仮に本公演が行なわれていたとしても、このリハーサルこそが最高の出来(=本物)だったことは十分あり得る。

リハーサルだから歌もダンスも100%の力を出し切っているわけでもないし、周囲への指示出しでパフォーマンスが中断されることも多い。でも、その力の抜き加減や、指示を出す様子が、とてつもなく洗練されていて、めちゃくちゃカッコイイ。

彼のダンスの振付を真似する人はゴマンと居るけれど、彼のダンスの1番たぐい稀なところは、決まった振付の無い部分・・・無意識で音楽に身を任せているときの、独特のカウントのとり方(音やリズムの解釈のしかた)や、身体の動かし方(筋肉や関節の使い方)にある。

この、誰もマネすることのできない無意識的な凄い部分が、リハーサル風景では存分に垣間見ることができる。チャップリンやフレッド・アステアもそうだけど、歴史的な「本物」の凄さは、むしろ本番よりもリハーサルの記録映像に残されていたりするものだ。

一緒に観に行ったTomoさんも言ってたけれど、マイケル・ジャクソンの生涯がこういう結末でなかったとしたら、映画『THIS IS IT』が作られることもなく、私達がマイケル・ジャクソンを「本物」かどうかを目の当たりにする機会も二度と訪れなかったかもしれない・・・そう思うと、とても複雑な気分になる。

映画の中の祝福に包まれた彼と、報道で取り沙汰される悲愴な彼を重ね合わせると、「本物」だけに与えられた喜びと、背負わされた苦しみに、思いを馳せずにはいられない。

『THIS IS IT』は、「本物」の目撃者として私達が「目の当たりにするべき」映画なのかもしれない。

58it

映画鑑賞の後は映画館の階下のカフェ『Le Ba-Ta-Clan』でお茶の時間。このカボチャのケーキ、たまらなく美味!(※イギリスで故障して以来、久々に復活したRICOH GX100で撮影)

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2008年3月27日 (木)

アニー・リーボリッツ

素晴しい写真―

素晴しい音楽―

素晴しい才能―

素晴しい人生―

そして、凄まじい努力や悲しみや克己心―

そういったものを目の当たりにしたいヒト必見の、すごく楽しく、かつ、魂を揺さぶられるドキュメンタリー映画。

観終わったばかりの私は今、とても嬉しくて、とても苦しい。

この映画と出会ったことで、私の人生が少し変われば_いや、変える力にしていかなくてはと、そんなことを考えている。

少し酔いのまわった頭で...

Annie01_3

http://annie.gyao.jp/about

↑このオフィシャルサイトは見応えアリ

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2008年3月 7日 (金)

ゴールデン・エイジ

Elizabeth_3

<公式サイト> http://www.elizabeth-goldenage.jp/

イギリス史上初の女性国王となり、賢政でイギリスを空前の黄金時代へと導いたエリザベス1世の物語。

イギリス王朝ものは、ちょうど日本の戦国もののように、イギリスで何度も繰り返し小説化・劇化・映画化され続けている。

なかでも、エリザベス1世の物語は、不遇の幼少時代から一発逆転を果たして天下を取ったという波乱万丈さ、カリスマ性たっぷりのキャラクター、絢爛豪華なコスチューム、そして富と名声では決して満たされない、年若い愛人への思慕_などなど、ドラマティックな要素がギュッと詰まっていて、近年ますます人気の高いモチーフの1つ。日本でいえば、豊臣秀吉の『太閤記』、あるいは、ウォルシンガム卿という山本勘助ばりの策士が暗躍する点で『風林火山』といったところだろうか_?

ただ、日本の「国獲り物語」と大きく異なるのは、戦の内容が宗教がらみの国際紛争であること、そして、大将が女性であり、しかも「女王というキャリア」を全うするために、幾多の恋を捨てて生涯独身で通したという点。つまり、結局シンデレラ・ストーリーで終わってしまう『ブリジット・ジョーンズの日記』や『セックス・アンド・ザ・シティ』より、ある意味(中世の歴史絵巻でありながら)現代女性のリアルな共感を呼ぶ物語ともいえる。

「強い女」という評判と自覚を背負いつつ、「可愛い女」の人生を羨やんで人知れず涙を流す女王の姿に、身に詰まされ、もらい泣きが止まらない観客女子は、きっと少なくはないはず。。。(^^;)

その共感の源は、何といっても女王を演じきったケイト・ブランシェットの演技力。この人、本当に巧いっ。なんと、次回作『アイム・ノット・ゼア』ではボブ・ディラン(!)に扮していて、これまた(まだラッシュを観ただけだけど)驚くほど雰囲気をつかんで自然に演じている。

もっとも、演技力も美貌も人気も備えた彼女だけれど、いわゆる「可愛げ」のあるタイプの女優さんではないので、可愛げのある若手・中堅の女優か、可愛げを超越したベテラン女優が受賞しやすいアカデミー主演女優賞は、まだ1度も受賞したことがない。でも、もし『ゴールデン・エイジ』の続編が作られ、エリザベス1世物語が完結したら、全作まとめて「ご褒美」的に受賞するんじゃないかな(『ロード・オブ・ザ・リング』みたいに)。

とにかく見応えたっぷりの『エリザベス・ゴールデン・エイジ』_ そうそう、見ている途中で「あっ!」と気がついたんだけど、『ノッティング・ヒルの恋人』でオトボケ役のスパイクを演じてイイ味だしてた俳優さんが、全く違う顔とキャラで登場し、ド肝を抜かれます。両作ご覧になる方は、そちらもお楽しみに♪

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2007年6月 7日 (木)

至福の日曜日+追記

前々から心待ちにしていた6月3日の日曜日。

友達と京都駅で落ち合って、まずはお昼ごはん。お目当てのティルームが満席で入れず、バスで岡崎まで移動。以前、通りかかったとき可愛い店構えが気になっていたフレンチのビストロ『Rive gauche(リヴ・ゴォシュ)』へ。古い家屋を改装した、小さいながらも洒落た店内の内装とか、テーブルにきちんと並べられたカトラリーの感じとか、カウンター越しに垣間見えるキッチンの様子とかから、いかにも美味しい料理をいただけそうな予感_。期待にたがわず、葱とジャガイモのヴィシソワーズ、モチモチのテーブル・ロール(白と全粒粉が1個づつ)、ポーク・ソテーのマスタード・ソース添え(酢漬けのキャベツと温野菜サラダ付)、バニラ風味のクリーム・ブリュレ、紅茶に至るまで、それはそれはリッチな味わいだった(1000円チョットで)。

Restaurant_1

さて、お腹と心が満たされたところで、疎水沿いをぶらぶら散策しながら京都会館へ移動。いよいよ京都市交響楽団(指揮:斉藤一郎)のライブ演奏付き『モダン・タイムス』を鑑賞する。

私の不手際で会場に入るのが遅れ、指定の1階ではなく最上階の席に座るハメになってしまったのだが、そのぶん、スクリーンとオーケストラと客席を一望に見渡すことができた。目の前のスクリーンに、デジタル・リマスター処理でハッキリ・クッキリ鮮明になったチャップリンの姿が浮かび上がり、底の方でキラキラ光る星屑のようなオーケストラの奏でる美しい旋律が劇場全体を包み込む_まるで、劇場空間がチャップリンという1つの「小宇宙」と化したよう。その中に身を置いているだけで私なんかは夢心地★ 他方、チャップリン映画に特別な思い入れを抱いているわけではない友達は、途中から目を閉じオーケストラの甘美な調べに身をゆだねつつ、時にウトウト…それこそ本当の夢心地だったそうな。やっぱりこういう催しの場合、映像よりも音楽が主役って感じなので、彼女の楽しみ方は、それはそれでとっても正しい(そもそも間違った楽しみ方なんて存在しないのだけれど ^^;)。

実際、チャップリン・シンポジウムが名実共に「チャップリン好き(マニア?)の集い」だったのに対し、こちらは、チャップリン好きはもちろん、クラシック音楽好き、とにかく楽しそうな催し好き_といった、年齢も性別も目的も幅広い人々で賑わっている感じだった。

Kyotokaikan1

嬉しかったのは、オーケストラに混じって、会場の所々から子供たちの笑い声が聞こえてきたこと_。 こういうライヴな催しを通じて、チャップリンが今に生き続けることを願ってやまない「ふぉとみっちゃん」です。

<追記> リビング京都新聞(2007年6月9日1373号)12面に私の写真講座の告知が掲載されております。関心のある方は、どうぞよろしくお願いいたします(^^)

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2007年5月 3日 (木)

ヒューさま&女王さま

最近、映画を2本観に行きました。

まずはヒュー・グラントの最新作『ラブソングができるまで』。

Musiclyrics_2 

<公式サイト> http://wwws.warnerbros.co.jp/musicandlyrics/

これ面白かったなぁ~。ヒューを世界一男前だと思っている「ふぉとみっちゃん」のような♀に限らず、全てのハートウォーミングストーリー好き、そして音楽(特に80s)好きが、心から楽しめる作品となっております。出演作品選び(決め手はシナリオらしい。)に定評のあるヒュー・グラント、今回のチョイスも実に心憎い。

今回ヒューが演じるのは、80年代に『POP』というアイドル・バンドの一員として一世を風靡し、今は昔の栄光を糧に細々とイベント巡業して食いつなぐアレックスという男。“忘れられたスター”という役どころは、決まってアル中か何かで、悲壮感たっぷりに演じられるのが常だが、アレックスは飄々としていて、それなりに現状を楽しんで暮している風なのが面白い。

現実でも、「有名バンドの復活」や「元セレブのリアリティ番組出演」が大流行りの昨今では、“生き恥さらすは武士の名折れ”なんて感覚も希薄化しているようだし(ひと昔前のスターはそんな感覚持ってたハズ_西洋人といえども)、過去を売り物にすることでそれなりの人気と収入が得られるようになっている。私はイギリス滞在中、ちょうど『デュラン・デュラン』再結成の過程をリアルタイムで目撃した。初めのうちは「よせば良いのに―」「誰、このオッサン達」と冷ややかだった大衆の反応が、彼らの衰えぬパフォーマンス(まぁ容貌はともかく…)、歳月や逆境を乗り越えた「味わい」、そして、80s特有の「ミディアム・テンポでメロディアスかつビートの効いた」楽曲に触れるにつれ、80sを知らない世代を巻き込んで注目→リスペクト→熱狂へと変化していったサマは、なかなかドラマチックだった。映画に出てくる『POP』の曲調や“腰フリ”は『ワム!』っぽい感じがしたけど、どうも私は、アレックス=ヒューのイメージが『デュラン・デュラン』とダブってしかたがない。

80sといえば、その『デュラン・デュラン』をはじめ、『カジャ・グー・グー』『カルチャー・クラブ(ボーイ・ジョージはゴシップだけは現役ですなぁ)』『アンダム&ジ・アンツ』etc...といった“英国ビジュアル系”バンド花盛りの時代であり、また、ヒュー・グラント自身が『モーリス』という(ある種)“英国ビジュアル系”映画で妖しく美しくスクリーン・デビューを果たした時代でもある。つまり、80s“英国ビジュアル系”だった「元アイドルスター」をヒュー・グラントが演じるというのは、それ自体、ちょっと虚実ないまぜっぽい「遊び」が入っているように思う(もっともヒューは90年代に『フォー・ウェディング』で一足早く(そして昔以上に)ブレイクしてますけど)。そんな調子で、この映画には「80sネタ」や現代ミュージックシーンに対する皮肉をこめた「楽屋落ち」的ギャグが随所に散りばめられており、観る者を飽きさせません。

なんて、ゴチャゴチャ書いちゃったけど、80sを抜きにして、普通のラブコメとして観ても_普通に面白い(共演のドリュー・バリモアも好演)。

“男と女の関係は、歌における曲(music)と詞(lyrics)のようなもの。”という本作品のテーマがどのような形で現れてくるか、それを観てどう感じたか_ パートナーや友達や家族と、或いは1人で思いをめぐらすってのも、オツなもの。でも恋愛映画って、気の置けない友達と観て、帰りに美味しいものでも食べながら、あーだ×こーだ論じ合うのが1番盛り上がります♪

さて、もう1本は、昨日見てきたばかりの『クイーン』。

070118_queen_main

<公式サイト>http://queen-movie.jp/

本当は母を連れ出して、もう1回ヒューを観に行くモクロミだったんだが、「あたしゃそれより『クイーン』が観たい」という母の一声で、お供して観て参りました。正直、「ふぉとみっちゃん」はロイヤルファミリーつうものに殆んど興味ないんですが、この母親に薦められ本や映画を見たり、また、otochanがイギリスへ遊びに来るたんびにウィンザー城やバッキンガム宮殿の中を一緒に見学したりして、気がつけば色んなロイヤルファミリー・グッズ(図録や絵皿やキーホルダーなんか)が手元にあったりする。

これは、絶対イギリスしか作れない映画だ。そもそも日本には、実在しかも現役の皇族や首相を主役に、こうした人間臭いドラマを作る土壌も能力も度胸も無い。また、アメリカで仮にブッシュを主役にした映画を作ったら、完全な美化か徹底した揶揄か_ いずれにしても大げさで一面的な描き方しかできないような気がする。しかし、イギリスは違う。

表向きはポーカー・フェイスの威厳を保ちながらも、内面では家庭問題や大衆の反応に終始動揺しているエリザベス女王。若さと人気の絶頂にありながら(このころが懐かしいだろうな~)女王の前では卑屈なニヤニヤ笑いをしてしまうブレア首相。自分達の下世話な好奇心が悲劇を招いたことは棚に上げて王室ばかりを非難するマスコミと一般大衆。その大衆から「人民のプリンセス」と祭り上げられてはいるが、残された映像や写真から「顔だけ良い女」の素顔が見え隠れする故ダイアナ元妃…こうした、自分達の【凄くないところ】を自分達自身でユーモアを織り交ぜながら巧みに表現し、面白がってみせることで、自分達のことを【逆に凄いでしょ?】と表現してしまう芸当は、イギリスの得意中の得意。そして、それを観た者は、知らず知らず「なんかイギリスって凄いなぁ~」という気にさせられてしまう・・・ それこそが、イギリスの(良くも悪くも)凄いところだと思う。

そんなイギリスの凄さが、凄い演技と凄い演出で堪能できる『クイーン』は、異様に凄い映画といえるかもしれません。「ふぉとみっちゃん」なんか、観ていてソラ恐ろしさすら感じてしまいます。

余談ですが、エリザベス女王が日常的に愛飲している紅茶は、王室御用達の高級茶葉ではなく『PG tips』という、スーパーなどで大箱売りされている格安茶葉(但し味は良い)だという記事を読んだことがあります。映画の中で、お茶の時間に女王がティケーキにジャムを乗っけてかぶりつこうとした途端、ブレア首相から電話が入り、「お茶が冷めてしまう!」と夫のフィリップ殿下は憤慨し、食べ損ねた女王は一瞬ベソをかいたような表情になる_ というシーンがあるのですが、イギリスの典型的な老夫婦そのものの2人の態度と共に「女王は、こんな豪華なティセットで『PG tips』を飲んでるのかなぁ」と連想して、なおさら可笑しくなってしまいました。妙に印象に残るシーンです。

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2007年3月30日 (金)

チャップリン

「第2回チャップリン国際シンポジウム」に参加した。

会場は京都木屋町、盛り場のド真ん中でケナゲに建ち続けている元・立誠小学校(現在は個展などの多目的スペースとして活用されている)。シンポの内容は、研究発表と写真展、そして私が参加した日はデジタル・ニュープリント版「独裁者」の上映が行なわれた。

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「国際シンポジウム」などと大そうな名前がついているが、実際、大そうな催しなのである。日本、イスラエル、イタリア、アメリカ、イギリスから集まった学者や専門家、それに、チャップリンのお孫さんから市川染五郎まで、ソウソウたる面々が一堂に会し、チャップリン映画について、また、チャップリンその人や、歴史・社会との関わり合い等について、最新の研究成果が発表/議論されたのだった。いや~「チャップリン」って、今やレッキとした“学問分野”の1つなんだなぁ、と、改めて実感。

どのプレゼンも本当に興味深く、為になるものばかりだったけれど、この場では深く立ち入らないことにする。私の力では簡単にまとめることができないし、第一、あまりチャップリンを知らないという人には、まずは、理屈ぬきで映画を楽しんでほしいと思うから。

私がチャップリンを好きになったのは7歳の時、テレビで「街の灯」を観て。普段なら「子供は早く寝なさい!」と、叱られるところを、「これは良い映画だから。」と、母が特別に観ることを許してくれたのだった。

そして、一気に惹きこまれた。

以来、何十年に渡って何度となく「街の灯」や、他の作品を観つづけている。それで、つくづく凄いな~不思議だな~と思うのは、チャップリン映画って、観て、笑ったり泣いたり、何かを感じたりする内容が、子供の頃から今に至るまで、ちっとも変わらないのだ。「子供の頃は分からなかったけど、今なら分かる」とか、逆に、「子供の頃は感じられたのに、今は感じられない」といったことが殆んどない。同じ場面で、いつも決まって同じ気持ちになる(但し「街の灯」より後の社会的作品は若干大人向け)。つまり、チャップリンの映画は子供から大人までが同じレベルで理解し感応することができるという、本当の意味でレベルの高い芸術作品なんである。

私が高校生の時、チャップリン作品が大阪の映画館でリバイバル上映されると知り、友達数人をそそのかして授業を集団エスケープしたことがあった。首謀者の私はバレたら停学ものだ…と怯えつつ、万が一のときには、「学校には芸術の授業が無いので、外へ受けに行きました。」という弁明を用意していた。

キャハ~(*^^*)言わずに済んで良かった・・・でも、ちょっと言ってみたかったような ?

映画館の帰りに、ナビオ阪急美術館で開催されていた「エドワード・スタイケン写真展」へ寄り道した。そこに展示されていたチャップリンの1枚のポートレイト。映画の中の「浮浪紳士チャーリー」とは全く違う、才能と成功で光り輝く男の実像が、見事な写真表現で浮き彫りにされていた。それまでも、モノクロ写真のポストカードを買い集めてアルバムを作るのが趣味ではあったのだけれど、その1枚との出会いがきっかけで、写真で表現すること_フォトグラファーに関心を抱くようになった。つまり、「ふぉとみちゃん」の運命の写真もまた、やっぱりチャップリンだったのです。

Chaplin

とまあ、これほどチャップリンへの思い入れの強い私だけれど、これまで、その思いを人と分かち合う機会があまりなかった…。ところが、今回シンポに参加して、50代にしてシナリオ学校に通いはじめチャップリンへの興味を深めたというAさんや、20代にしてチャップリンやエルンスト・ルビッチをこよなく愛するNさんと話をすることができて、すごく良い刺激を受けた。そして、チャップリン研究の若き第一人者、大野裕之氏!彼が引用した「映像には必ず毒が入っている。」というチャップリンの言葉_自らが創りあげる「笑いと涙の物語」の底に沈むもの、そして、現在も連綿と続くプロパガンダや、益々加熱するコンシューマリズムを見透かしたような。映像にたずさわる中枢にありながら、映像に対して極めて冷静沈着でいられたチャップリンの凄さに、改めて気づかされた。

う~ん、やっぱりチャップリンは奥が深い・・・そして魅力的★

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2006年9月21日 (木)

マッチ・ポイント

京都シネマへ、ウッディ・アレンの監督最新作『マッチ・ポイント』を観に行く。

ウッディ・アレンは、現役の映画人の中では、私が最もひいきにしている人物。まず、知性とバカバカしさが絶妙にブレンドされたシナリオの面白さ。そして、本物の街並や室内で撮られたシーンの1つ1つが、すてきな写真集をめくるように美しい。ジャズやスタンダード満載の音楽も洒落ている。第一、“黒ぶちメガネに洗いざらしの白いシャツ”というウッディのルックスが、私の好みにピッタリなのである。

しかし、近年の彼の作品には、もう一つ魅力を感じ切れなくて(好きだからこそ、それは私にとって、とても辛いことだ)、ちゃんと映画館まで足を運んだのは『ギター弾きの恋』(2001年)が最後になっていた。

それが、今作『マッチ・ポイント』で久々に食指が動いた理由は、ウッディが永年の本拠地だったNYを離れて、本格的に舞台をロンドンに移したから。私にとっても親しみ深い街を、彼がどういうふうに料理するのか、とても興味があった。

で、私の率直な感想はといえば、やっぱり『ビジター試合』を観たような印象を受けてしまった。そう、ちょうど、ナゴヤドームで中日と対戦する阪神タイガースのように、ぎこちなくて、しょんぼりした試合内容…「甲子園での元気はどこ行っちゃったのっ!?」ってツッコミたくなるような感じ(たとえが分かりづらい方、ゴメンナサイ)。

イギリス人である登場人物のセリフ、ロンドンのロケーション、オペラ音楽の扱い方、どれを取っても、ウッディらしい心憎さといったものが感じられなかった。やっぱりそれは、彼がまだロンドンの街や文化を消化しきれていないせいだろうと思う。主役のジョナサン・リーズ・マイヤーもスカーレット・ヨハンセンも良かったし、作品自体も「普通に」面白かったんだけど、「これぞウッディ・アレン映画!」と、言いたくなるほどまでには感銘を受けなかったな~私は。

ただ、この映画の秀逸な点は『マッチ・ポイント』というタイトルに潜んでいる。映画の冒頭、テニスの試合の最中にボールがセンターネットの上で引っかかり、相手か自分か、どちら側のコートに落下するか― というところで、ピタッとストップ・モーションになる。そこへ、「人生は、最終的に運が良いか悪いかで、すべてが決まる。」という、主人公の男の声が挿入される。そして、これとそっくりのシチュエーションが、物語の後半で実際に起こり、しかも、すごく意外な結末となる(まぁ、ちょっと展開に無理があると思うけどー)。

『運の良し悪し』―私たち自身も散々身にしみているように、そこに人生の理不尽さ、不思議さがあり、つまりはそれが、優しい意味でも残酷な意味でも、“人生の面白み”ということになる。この作品には笑いたくなるようなセリフや場面はひとつも登場しないけれど、「話があまりにも理不尽すぎて笑うしかない」という意味では、究極のブラック・コメディだといえる。しかも、幸運(ラッキー)と幸福(ハッピー)は、実は別物だということに気づかされた観客は、心の中で思わずニヤリとしてしまう。このあたりは、ウッディ・アレン独特のユーモア・センスが発揮されていると思う。

たぶん、この作品は、ウッディ・アレン自身が『マッチ・ポイント』に立たされていることをも意味しているのだろう。新たな創作意欲をかきたてるため、彼に数々の名作をもたらしたNY・マンハッタンを捨てて、ロンドンへ移動したことは、彼にとって、ネットすれすれの大胆なシュートを放ったようなものだと思う。それが、彼の映画人生に吉と出るか凶と出るか・・・それは、ウッディ自身の才能よりも、今後の「運」に、委ねられているのかもしれない。

★「ふぉとみっちゃん」が選ぶウッディ・アレン映画ベスト3

①ハンナとその姉妹(1987)・・・シナリオ、カメラ・ワーク、音楽などが、最も面白くて洒落ていて、“ストレート”な作品ではないかと思います。一般的にも、本作か、アカデミー賞を多数獲得した『アニー・ホール』(1977)がウッディ・アレンの最高傑作と目されているようですが、私は断然ハンナ派。場面と場面の間に挿入される小説風のキャプションも、小粋で最高です。

②マンハッタン(1979)・・・①と②は、ほとんど甲乙つけがたい。特に、全編モノクロームで映し出されるマンハッタンの美しい街並は、観るたびに溜め息がこぼれます。知的な同年代の女性と、無垢な少女の間を行き来するウッディ演じる主人公の姿は、今から観ると、ちょっとシャレにならないけれど…でも、シナリオも抜群に冴えてます。

③ラジオ・デイズ(1987)・・・ウッディ作品が好きな人も嫌いな人も理屈抜きで楽しめるエンターテイメント映画。年末にホーム・パーティを開いて大勢で観るのも良いでしょう。他の作品は悪魔的ないし病的ブラック・ユーモアに彩られているけれど、この作品と『カイロの紫のバラ』(1985)は、彼の優しさと良心だけで作られています。それが愛おしくもあり、若干、物足りなくもあり…

…ブラック・ユーモア好きの人間って、やっぱり心根がブラッキーってことになるんでしょうか― むしろ、人は正反対のものに魅かれるからだと、「ふぉとみっちゃん」は信じたいですが。

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2006年8月29日 (火)

戦場のアリア

月に1度、選りすぐりの映画を低価格で上映する、高槻市主催の『四つ星シネマ』。今月の上映作品『戦場のアリア』(JOYEUX NOEL:2005 仏・独・英合作)を観てきました。

第一次大戦下のフランス北部の片田舎、侵攻するドイツ軍、迎え撃つフランス軍、そしてフランスを援護するスコットランド軍が、三つどもえ状態で塹壕を構えている最前線地区が舞台。折りしも季節はクリスマス。泥沼化する悲惨な戦況と凍てつくような寒さで兵士達の胸の内には厭戦気分やホーム・シックが蔓延。そんなクリスマス・イヴの夜、スコットランド軍の兵士がバグパイプを奏で始めると、一流のテノール歌手だったドイツ人兵士がそれに合わせて歌いだし、フランス軍も含めた全員から喝采を浴びるというハプニングが発生。これをきっかけに、皆、武器を置いて塹壕から這い出し、三軍入り混じってクリスマスを祝い合った―という、お話し。

まるで、おとぎ話のようですが、「前線兵士達による自発的なクリスマス休戦」のエピソードは、正真正銘の史実に基づいているとか。このエピソードそのものの面白さだけでなく、監督・脚本のクリスチャン・カリオンは三軍の状況を公平な視点で描いて、どんな状況下にあっても「相手と共感する心」を失わないことの大切さを巧みに表現しています。その一方で、善良でおとなしかった青年が兄の戦死に直面して変化していく様子や、出征する若者に向かって敵の殺戮を奨励する説教を行なう高位の(キリスト教)聖職者、そして、「クリスマス休戦」を実行したことによって自国から罰を受ける兵士達などを描くことによって、単なる「クリスチャン・ワールドのオメデタイ話」に終始させない深みを、この作品に与えています。

物語の重要なポイントとして使われている音楽も素晴しく、演じる俳優達も美しくて本当に魅力的(*従軍牧師役のゲーリー・ルイスは『リトル・ダンサー』でビリー・エリオットの父親を演じた人。セリフも表情も無骨なのに、いつも何故か泣かされるんだなぁ)。

良い映画でした。

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