« お引渡し | トップページ | 1928ビル »

2007年3月 6日 (火)

君は僕の宝物

ウェディングフォト・シューティング明けの今日、ムショウに槙原敬之の3rdアルバム『君は僕の宝物』が聴きたくなった。

Macky

槙原敬之といえば、今ではSMAPに♪世界にひとつだけの花 を提供したことで有名。実際、この曲は私の周囲でも非常に評価が高い。

確かに良い曲なんだろうけど・・・でも、私はどーもニガテなんだな~、いわゆる“励まし系”ソングが。聴いてて、なんか、こっちの事情も聞かないで一方的に説教されてるような気分になっちゃう。で、いかにも「どーだ良いこと言ってるだろう!(ホレホレ)」って迫られているみたいで、聴けば聴くほど醒めていく自分に気づく。これって、私だけ?J-POPの大ヒット曲って、ポップス調だろうとロック調だろうとヒップホップ調だろうと、歌詞の内容は圧倒的に“励まし系”が多いもんなぁ~。。。

だからといって、私が歌に励まされないわけでは決して、ない。つまり、「ヒトサマを感動させよう。」なんて意図が見え隠れしない、あくまで内省的な歌にこそ、心から励まされ、胸打たれる「ふぉとみっちゃん」なのです。

で、槙原敬之。

彼の作品に他のソースからの流用があろうとなかろうと、彼が音楽の天才であることは疑う余地がないと思うけれど、中でも、“自分自身”が宿命的に抱えているプライドとコンプレックス、あるいは、“自分が生きていること”に対する限りない希望や不安_ そういった内省的なことが素晴しく素直に表現されている初期の作品群(4thアルバム『Self Portrait』まで)が、キワダッて才気走っていると私は思う。

何を隠そう、マッキーと私は同い年。

どんなときも が、まさに一世を風靡した頃、私は明日をも知れぬ苦学生だった・・・同い年でも、色んな人生があるもんだ・・・と、タメイキが出たのを覚えている。但し、♪どんなときも は、内省的な形をとりつつ(大ヒットしただけあって)限りなく“励まし系”っぽい歌なので、私は「フン!」と、そっぽを向いていた。ところが、その後に発売されたシングル♪北風 (*実際には、これがデビュー曲だったのが再発売されたもの。)、さらに、♪もう恋なんてしない を聴くにいたって、「スゴイっ、この男は天才だぁ!!!」と、完全にマイッてしまったのだった。

以前、ブログにも書いた小沢健二は、聴いていて「オザケンに恋する気分」になるのだが、マッキーの場合、痛いくらいに共感し、感情移入せずにはいられない。例えば、♪No.1 という曲の中に

君を笑わせたい力づくでも笑わせたい。そして歳をとり、いつか皺くちゃになったら、そのわけは僕のせいだと言わせたいんだ。君の微笑みは、みんなを幸せにする。

という歌詞がある。こういうの聴くと、「わぁ~アタシも誰かにこーゆーこと言われたいっ」と、いうよりも、「わぁ~アタシも誰かにこーゆーこと言ってみたいっ」と、思ってしまうのだ不思議と(ちなみに♪もう恋なんて・・・ と♪No.1 は、今でも「ふぉとみっちゃん」のカラオケ定番ソングです☆)。

それは、たぶん、同じ時代背景で生まれ育った同い年ならではの共感ということも少しは関係しているような気がする。でも、それ以上に、2000年頃の“スキャンダル”で露呈したマッキーの「中性」感覚が、男女の壁を越えて深く共感を呼ぶ「鍵」なのかなと思ったりする。

ちょうど『君は僕の宝物』をリアルタイムで聴いていた頃、当時つき合っていたカレが私に「“釣った魚に餌はやらない”って言うやろ?」と、言ったことがあった。笑いながらの冗談だったのだけれども、私は思わずゾッとしてしまった。あまりといえばあまりにも理にかなった言葉だけに、余計、許しがたく・・・。でも、ここで目くじら立てて怒ったら、本当に自分が餌に飢えた魚みたいになりそうで何も言えなかった。問題なのは、釣ったか釣られたか、とか、餌をやるかやらんか、とかではなくて・・・。ひとつ確かなのは、「アタシだったら死んでも言いたくない言葉だわっ」と思ったことだった。

マッキーはアルバム表題曲♪君は僕の宝物 の中で、歌う。

神様ねぇもし僕が彼女と居ること当たり前に思ったら力いっぱいつねってください、幸せの意味を忘れぬように

だよね~やっぱり★

私、マッキーとはゼッタイ良い飲みトモになれると思う

|

« お引渡し | トップページ | 1928ビル »

音楽」カテゴリの記事

コメント

「世界でひとつだけの花」はゲイソングに聞こえるのは私だけでしょうか。

投稿: トクチーノ | 2007年3月 8日 (木) 12時24分

トクチーノさん♪

ハハハ、そうとるか。

ていうか槙原敬之の曲全般、仮にそういう観点に立つと妙に合点がいったりするんだよね。
「恋と呼ぶには最初からサヨナラを覚悟していた2人だった」とか「正直過ぎる君と僕が嘘をついてまで一緒に居れるなんて今は思わない」とか―
昔は聴きながら『イマドキこんな切ない恋愛ってあるんかぃ?』と思ったりもしたけど…ありましたね、そういう理由が(#^^#)
実際にゲイの友人と話すといつも感じることだけど、やっぱり彼らの感性って“授けられた”特別のモノだと思う。マジョリティかマイノリティかという点において理不尽な十字架を背負わされて生きているとしても、そういうことを含めて、ゲイ術の世界でオンリーワンの大輪の花を咲かせられるのは、何といっても彼らだもの★

それにしてもロンドンには妙でキュートで堂々としたゲイ男ゲイ女がいっぱい居りましたナ~

投稿: ふぉとみっちゃん | 2007年3月 8日 (木) 13時49分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« お引渡し | トップページ | 1928ビル »