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2006年9月

2006年9月25日 (月)

ありがとう

Ichigocake_3

昨夜、遅く帰宅したら、食卓の上に見事なイチゴ・ケーキがのっていた。近所に住む友達が、新しい職場での初月給で、母と私にプレゼントしてくれたのだ。

ずーっと飾っておきたい・・・一刻も早く食べたい・・・

で、今朝、おもわず早起きして記念撮影。

庭先に今年も咲いた彼岸花。興味深げに、いっそう首を長くしたような ―

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2006年9月21日 (木)

マッチ・ポイント

京都シネマへ、ウッディ・アレンの監督最新作『マッチ・ポイント』を観に行く。

ウッディ・アレンは、現役の映画人の中では、私が最もひいきにしている人物。まず、知性とバカバカしさが絶妙にブレンドされたシナリオの面白さ。そして、本物の街並や室内で撮られたシーンの1つ1つが、すてきな写真集をめくるように美しい。ジャズやスタンダード満載の音楽も洒落ている。第一、“黒ぶちメガネに洗いざらしの白いシャツ”というウッディのルックスが、私の好みにピッタリなのである。

しかし、近年の彼の作品には、もう一つ魅力を感じ切れなくて(好きだからこそ、それは私にとって、とても辛いことだ)、ちゃんと映画館まで足を運んだのは『ギター弾きの恋』(2001年)が最後になっていた。

それが、今作『マッチ・ポイント』で久々に食指が動いた理由は、ウッディが永年の本拠地だったNYを離れて、本格的に舞台をロンドンに移したから。私にとっても親しみ深い街を、彼がどういうふうに料理するのか、とても興味があった。

で、私の率直な感想はといえば、やっぱり『ビジター試合』を観たような印象を受けてしまった。そう、ちょうど、ナゴヤドームで中日と対戦する阪神タイガースのように、ぎこちなくて、しょんぼりした試合内容…「甲子園での元気はどこ行っちゃったのっ!?」ってツッコミたくなるような感じ(たとえが分かりづらい方、ゴメンナサイ)。

イギリス人である登場人物のセリフ、ロンドンのロケーション、オペラ音楽の扱い方、どれを取っても、ウッディらしい心憎さといったものが感じられなかった。やっぱりそれは、彼がまだロンドンの街や文化を消化しきれていないせいだろうと思う。主役のジョナサン・リーズ・マイヤーもスカーレット・ヨハンセンも良かったし、作品自体も「普通に」面白かったんだけど、「これぞウッディ・アレン映画!」と、言いたくなるほどまでには感銘を受けなかったな~私は。

ただ、この映画の秀逸な点は『マッチ・ポイント』というタイトルに潜んでいる。映画の冒頭、テニスの試合の最中にボールがセンターネットの上で引っかかり、相手か自分か、どちら側のコートに落下するか― というところで、ピタッとストップ・モーションになる。そこへ、「人生は、最終的に運が良いか悪いかで、すべてが決まる。」という、主人公の男の声が挿入される。そして、これとそっくりのシチュエーションが、物語の後半で実際に起こり、しかも、すごく意外な結末となる(まぁ、ちょっと展開に無理があると思うけどー)。

『運の良し悪し』―私たち自身も散々身にしみているように、そこに人生の理不尽さ、不思議さがあり、つまりはそれが、優しい意味でも残酷な意味でも、“人生の面白み”ということになる。この作品には笑いたくなるようなセリフや場面はひとつも登場しないけれど、「話があまりにも理不尽すぎて笑うしかない」という意味では、究極のブラック・コメディだといえる。しかも、幸運(ラッキー)と幸福(ハッピー)は、実は別物だということに気づかされた観客は、心の中で思わずニヤリとしてしまう。このあたりは、ウッディ・アレン独特のユーモア・センスが発揮されていると思う。

たぶん、この作品は、ウッディ・アレン自身が『マッチ・ポイント』に立たされていることをも意味しているのだろう。新たな創作意欲をかきたてるため、彼に数々の名作をもたらしたNY・マンハッタンを捨てて、ロンドンへ移動したことは、彼にとって、ネットすれすれの大胆なシュートを放ったようなものだと思う。それが、彼の映画人生に吉と出るか凶と出るか・・・それは、ウッディ自身の才能よりも、今後の「運」に、委ねられているのかもしれない。

★「ふぉとみっちゃん」が選ぶウッディ・アレン映画ベスト3

①ハンナとその姉妹(1987)・・・シナリオ、カメラ・ワーク、音楽などが、最も面白くて洒落ていて、“ストレート”な作品ではないかと思います。一般的にも、本作か、アカデミー賞を多数獲得した『アニー・ホール』(1977)がウッディ・アレンの最高傑作と目されているようですが、私は断然ハンナ派。場面と場面の間に挿入される小説風のキャプションも、小粋で最高です。

②マンハッタン(1979)・・・①と②は、ほとんど甲乙つけがたい。特に、全編モノクロームで映し出されるマンハッタンの美しい街並は、観るたびに溜め息がこぼれます。知的な同年代の女性と、無垢な少女の間を行き来するウッディ演じる主人公の姿は、今から観ると、ちょっとシャレにならないけれど…でも、シナリオも抜群に冴えてます。

③ラジオ・デイズ(1987)・・・ウッディ作品が好きな人も嫌いな人も理屈抜きで楽しめるエンターテイメント映画。年末にホーム・パーティを開いて大勢で観るのも良いでしょう。他の作品は悪魔的ないし病的ブラック・ユーモアに彩られているけれど、この作品と『カイロの紫のバラ』(1985)は、彼の優しさと良心だけで作られています。それが愛おしくもあり、若干、物足りなくもあり…

…ブラック・ユーモア好きの人間って、やっぱり心根がブラッキーってことになるんでしょうか― むしろ、人は正反対のものに魅かれるからだと、「ふぉとみっちゃん」は信じたいですが。

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2006年9月20日 (水)

イノダコーヒ店にて。

イノダコーヒ店にて。

ケータイからブログを更新するテストです。

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2006年9月19日 (火)

ウェディング・フォト日誌

5:40am;起床。 昨夜は0時前に布団に入るようにしたけれど、案の定、寝つきが悪かったうえ、朝も4時頃から目が覚めてしまった・・・。「眠らなきゃ、眠らなきゃ」と思うと余計眠れなくなるし、かといって、何か考えごとを始めると益々目が冴えてくるし・・・あ~[安眠障害]は、ツライ。 撮影の朝の定番、プルーン入りヨーグルト+キャベツ炒め+目玉焼き+トースト+ジャム+紅茶の[スタミナ朝食]。料理しているうちに段々食欲も出てくる。 髪を切って、まとめる必要がなくなってから、身じたくの時間が短縮された。

7:00am前;出発。 台風の影響も心配ないようなので、駅まで自転車で。 今日の機材ラインナップは、[カメラバッグ1号](*1)に、ボディのニコンD70とD50、レンズの28-105mm.F3.5-4、85mm.F1.8、50mm.F1.4を詰め、[カメラバッグ2号](*2)に、レンズのシグマ15mm.Fish-eye.F2.8と、ストロボのSB-800。これらの機材を抱えて苦痛じゃないうちは、まだ大丈夫だな・・・と、いつも確認してしまう。

今日の現場は、初めて訪れる大阪南部のとある市。フリーランスだと、ほとんど毎回現場が違うので、毎回、新たな緊張が。でも、おかげで、元々あまり遠出しない私も、ずいぶん関西のテリトリーが広がってきた。 プリントアウトした[NIFTY路面検索]を片手にJRとタクシーを乗り継いで、8:30am現場到着。緑深い景観が美しい。台風一過、晴れすぎず曇りすぎず、ちょうど良い天気。

9-10:00am;メイク・シーン撮影。 いつもどおり、50mmF1.4で花嫁の表情を追いつつ、広角で周囲の情況を押さえる。 おしたくは、挙式当日の[ときめき]や緊迫感が一番よく表れるシーンとして画的に重要なのは勿論、このとき、花嫁はじめ周囲の人々とどこまで意思の疎通を図れるか、また、ウェディング全体の雰囲気をきちんと把握できるかが、この日1日の写真の出来を左右する。

10-11:00am;挙式リハーサル。新郎新婦とスタッフとの間で、進行や立ち位置などの入念なチェックが行なわれる。その間、私も挙式中の自分の動きをシュミレーション。挙式は、極力ストロボ無しで撮影することに決めている。今回の会場も十分な明るさなのだが、ただ、会場を囲む大きなガラス窓から見える外の緑がとても美しいので、フラッシュを焚いて、会場の内と外、両方の色をきれいに出したいところ。そこで、厳粛なシーンはフラッシュoff、それ以外はon、と、適宜、使い分けることに。

11-12:00;型撮り。あらかじめ目をつけておいた場所で、花嫁ショットと2ショットを数パターン撮影。私がベストだと思うアングルに限って[非常口]の表示が・・・あの、白地にグリーンの電光掲示は本当に現場フォトグラファー泣かせっ。表示の見えないアングルからも撮影したものの、やっぱりベスト・アングルには替え難い。どちらのショットを採用するかは、コンピューター作業の結果如何。 撮影後、ちょっと休憩。

12:45-3:25pm、挙式&レセプション撮影。 ズームで新郎新婦やゲストの表情を、15mmで全体の様子を撮影。シュミレーションで決めた撮影位置から基本的に動かないで、じっとシャッター・チャンスを待つ。ファインダーから目を離した隙に良い瞬間を撮り逃がすとイヤなので、ずっと構えながら。

3:30-4:00pm、集合写真撮影。今回はキチンと整列した記念写真を御希望だったので、参加者のご協力を得て、180人を7つほどのグループに分け、司会者に号令をかけていただく。 団体撮影をする上で特に重要なことは― ずばり「撮影者の声がデカいこと」だと、私は思う。幼い頃から今に至るまで「あんたの声は大き過ぎる。」と家族に言われ続けてきたのが私のコンプレックスになっているのだが、撮影のときだけは「デカ声で生まれてきて良かったぁ」と、しみじみ思えるのである・・・あと、お年寄から「おたくの声は聞き取りやすいわぁ」と、言われるときと。

4:30pm;撮影終了。新郎新婦だけでなく、大勢の参列者に「ご苦労さま」と、温かい一声をかけていただきつつ、退散。 撮影後は、決まってムショウに麺類が食べたくなる私。今日は駅前の手打うどん屋で[冷やし梅しそうどん]を。 祭日だというのに、部活帰りの子供達とカチ合って、帰りの電車は大混雑。大阪から京都まで、各駅停車で座って帰る。読みかけの文庫本が床にズリ落ちたのも気づかぬまま、降車駅までグッスリ。

*1)カメラバッグ1号…10年ほど愛用している[VIVA YOU]のウェスト/ショルダー・バッグ。腰と肩の双方からバッグを支えると、負荷が分散されてラクだし、身体にピッタリ固定されて動きやすい。海外では引ったくり防止の効用も大きい。愛用しすぎて、だいぶクタビレてきているが、機能・デザイン共、これと同等の既製品がナカナカ見つからない。

*2)カメラバッグ2号…今年7月に購入した[LL.Bean]のショルダーバッグ。しっかりした作りと細かいポケットの多さ、そして、ペットボトルを入れるポケットがバッグの外側に付いている点などがカメラ向け。私は、ショルダーベルトに、カメラバッグ用の[負担軽減肩パッド]を装着している。確かに、これを付けるだけで随分ラクちんに。

私にとっては、既成のカメラバッグは重すぎたり、大袈裟すぎたり、やぼったかったりすることが多く、ブテッィクや百貨店で気に入ったカバンを見つけて[Myカメラバッグ]に仕立てるのは、ちょっとした趣味でもある。一生に一回くらい、オリジナルのカメラバッグなんて、デザインしてみたいな~

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2006年9月 4日 (月)

ウェブ新装開店

Kitsunenokamisori

新装 CAMERA [ai] でも、引き続きシンボルを務める「カメラのアイちゃん(*いま勝手につけた名前)」を、『キツネノカミソリ』と一緒にカラーで撮影。ヒガンバナ科の、このオレンジの花が咲いたら、まぎれもなく、もう秋です。

ウェブサイト開設以来、2度目の全面改装を行ないました。

2004年の8月に開設した当初は、デジカメもろくに持たず、メール以外にネットもやらず、ましてウェブ制作なんて右も左もわからないアリサマでしたが、当時、我がプロバイダーのNIFTYが無料配布していた『初心者でもホームページがラクラク作れるテンプレート(*サクサク作成君)』なるものに、自前の写真と文章をはめ込んでいくだけのウェブを作りました。

ところが、既成のテンプレートにそぐわない、重い写真や長い文章や無理なデザインを頻繁にアップしようとしているうちに、テンプレートが破綻。2004年の暮れ頃、『ホームページ・ビルダーVol.9』を買って来て、イチから自分で作成することに。当初は、「わぉ。こんなに自由に、好きなだけ、レイアウトができるっ」と、嬉しがってやっておりましたが、最近、また新たな問題がー。

まず、『ホームページ・ビルダー』の不具合。“自由に・好きなだけ”使えるはずの既成の素材が使えなかったり、新しいページの作成が許可されなかったり…。こういう、メカニズムの問題に直面したとき、メカニズムの知識なく(タブンに当てずっぽうに)メカをいじくっている人間は、本当に途方に暮れる。ビルダーはアフター・ケアに不熱心で「何か問題あるなら、お金払ってバージョン・アップすれば?」と、言わんばかりだ(と、私には思える)し。

しかし考えようによっては、これは良い転機では―と、思いました。すなわち、“自由に・好きなだけ”使ってくださいと言われると、いらんもんまで使ってしまうのが凡人の悲しいサガ。素材の多用と作品の蓄積で知らずシラズのうちにゴテゴテしてきたサイトの中を、いったんスッキリさせてみようではないか、と。

そこで今回の改装では、装飾は抑え目に、そして、素材は全てオリジナルを使用することにしました。つまり、シンプルで飽きのこない器にしておいて、あとは、写真や文章の中身に、もっと力を注がなくちゃ、と思いまして。

余談(?)ですが、サイト内で唯一使用している絵素材「イラスト・ふぉとみっちゃん」は、天才画伯「あっこちん」の作。以前、3パターン描いてもらっていて、今回の改装工事中、改めて左の「冷や汗・ふぉとみっちゃん」を見たとき、こっちの方がブログにピッタリだと思って交換しました。これまでの「オーソドックス・ふぉとみっちゃん」と、あと1つ「パソコン・ふぉとみちゃん」も、サイトのどこかに顔を出しているので、お楽しみに♪ちなみに、私のまわりには絵の上手な人が沢山おりますが、“絵は、描く人のキャラクターがにじみでる”もの。今回、とびきりマンガ・チックな絵が欲しかった私は迷わず「あっこちん」に描いてもらうことにしました。結果は大正解★「あっこちん」よ、ありがとう!

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2006年9月 1日 (金)

小沢健二

私がまだ大学の研究室に居た頃、後輩の男の子からラブレター代わりにもらった1本のカセットテープ(「ふぉとみっちゃん」にも、そんな時代があったのだ~)、それが小沢健二の『LIFE』でした。そのカセットを暗室や寝床で今も聴き続けている私…つまりは、そのコよりもオザケンの方に惚れてしまったのでした、チャンチャン

私にとってオザケンの魅力は、ずばり『存在の耐えられない軽さ』。

飄々と勝手気ままに生きている(人を喰った)ような歌と歌いっぷり―だけど、よぅく耳を澄ませると、(イカニモ深刻ぶった音楽からは決して感じられない)鋭さや哀しみが、そこはかとなく伝わってくるのです。こんな粋で高度な音楽表現は、本物の天才にしかできないことでしょう。

しかも、「(自分=)王子様。」だとか「(彼女=)仔猫ちゃん。」だとかいうようなオザケン・ワールドに対して、「一過性の流行」とか「調子に乗るんじゃない!」みたいな評価をしたがる『世間』というものの中で、“オザケン”は、存在し続けるには余りにも『軽い』―かといって、その軽さを失くしてしまったら、もはや存在価値をも失くしてしまう―そんな、いわば宿命的に『はかない』存在だったのだと、私は『LIFE』を聴きながら感じずにはいられません。

♪いつだって おかしいほど 誰もが誰か 

愛し愛されて生きるのサ

それだけが ただ 僕らを悩めるときにも 

未来の世界へ連れてく♪

こんなに『軽い』―鋭くて哀しくてはかない歌(アーティスト)が、今のこの世間に存在するんでしょうか。

さて、今どきオザケンも何も無いのかなーと思っていたら、私以上にスジガネ入りの(歳は十以上若い)アスカちゃんという仲間を発見!彼女から「(オザケンがソロ・デビュー前に所属していた)『フリッパーズ・ギター』の復刻盤CDが発売されますよー」という情報を得ていたので、昨日、ウェディング・アルバムの納品の帰り、梅田のタワー・レコードへ寄り道。フリッパーズは作曲とヴォーカルがオザケンじゃないし、買わずにちょっと見るだけ…のつもりが、モニターに映し出された、10何年かぶりに見る「動くオザケン」の姿にすっかり心打たれて、思わずDVDを買って来てしまいました。

ナカナカ惚れない代わりに、いったん惚れたらトコトン想い続ける「ふぉとみっちゃん」なのであります―いや、ほんと。

注1)『存在の耐えられない軽さ』という小説(ミラン・クンデラ、集英社文庫)および映画も大変な傑作です。

注2)オザケンのオジサン、(指揮者の)小澤征爾が書いた青春自叙伝、『ボクの音楽武者修行』(新潮文庫)も、私が海外へ出るとき座右の書としているメチャメチャ面白い名著です。

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